皆さん、こんにちは。早慶ネクシア社会担当の望月裕一(もちづきゆういち)です。
今回のテーマは、「最新の早慶中学入試にチャレンジ!(早稲田実業学校中等部編)」です。
さて、今回は「2021年度早稲田実業学校中等部」の最新の中学入試を載せました。
早稲田実業学校中等部を志望する方、志望しようと考えている方は必見です!!
今年度の早稲田実業学校中等部では「情報・交通の歴史」を題材とした問題が出題されました。
では、実際に問題を見てみましょう!!
【早稲田実業学校中等部の問題にチャレンジ!!】
〔Ⅲ〕 次の【A】~【C】の文章を読んで、以下の問いに答えなさい。
【B】 武士が台頭する中世という時代に入ると、人やモノの移動は、さらに活発になり
ます。特に大名どうしが互いに争った戦国時代は、敵対する相手の情報が重視される
ようになりました。大名たちは、次の[イ]・[ロ]のように様々な手段を使って、この情
報をつかもうとしました。
[イ] 甲斐国(山梨県)の戦国大名であった武田
信玄は、信濃国(長野県)を攻略し、そのほとんどを領有しましたが、北部地域の領有
をめぐって、越後国の大名、上杉謙信と争うことになりました。長野の善光寺に着いた
謙信は、8月15日に近くの川中島に向かって出発します。
川中島に隣接する海津城から謙信出動の知らせを受けた信玄は、8月16日に甲府を出発し、
およそ160 kmを移動して8月24日に川中島に到着。その後2か月間のにらみ合いの末、決戦となりました。
[ロ] 武田勝頼と徳川家康・織田信長が戦った長篠の戦いでも、
情報のやりとりが勝敗を決める大きな要素になっていました。
5月14日、徳川家康方の長篠城は、武田方の大軍に囲まれていました。
城内にいた鳥居強右衛門は、武田軍の囲みをくぐり抜け、
翌日約65 km離れた徳川方の岡崎城にたどり着いて助けを求めます。
そこで織田・徳川の連合軍が出発の用意をしていることを知り、再び65 kmを1日で走り抜いて、
城内の武士たちに援軍が来ることを伝えたのです。
その言葉通り、16日に岡崎城を出発した織田・徳川の大軍は18日に長篠に到着し、
21日に合戦が行われ、織田・徳川連合軍は勝利を収めました。
[参考] 旧日本陸軍の基準では、大部隊の移動は1日24 kmが標準とされていました。
問6 次の①~③の文は、[イ]・[ロ]の文章と[参考] から導きだされたものです。
[関係地図]も照らし合わせて、述べられている内容が、正しいものには〇、正しくないものには×をつけなさい。
① 武田信玄は、いち早く敵の情報をつかむための仕組みをつくっていたと考えられる。
② 武田軍の川中島までの移動時間は、旧日本陸軍の基準と比べて早い。
③ 織田・徳川連合軍の岡崎城を出てから長篠までの移動時間は、旧日本陸軍の基準と比べて早い。
皆さん、どうでしたか?
今回の問題は、設問の全てが、本文や地図・絵画資料から読み取れることを記述したり記号で答えさえたりする問題です。
この問題は、資料の読み取りが合否を分けるポイントとなっています。
データ資料・図表の読み取りや文章読解が苦手な場合は、早期に対策をする必要があります。
特に、問6の資料から読み取れる事を○×で答えさせる問題は、受験生の大半が多くの時間を費やしたことと思われます。
この問題が分からなければ、自分が解ける問題にうつりましょう。
時間の使い方が試される上で、非常によい問題です。
ちなみに今回の早稲田実業学校中等部の答えを知りたい方は、コメントをお願いします!!
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